『ネットの夜明け』

弟1章  第三セクター

 横浜営業部の部長室からは高層ビルの合間から富士山が展望できた。

STビルの10階から富士山や丹沢の山々を見ていると営業部長の東田は島田本部長に電話で怒鳴られたいまいましさと胃の痛みを少しの間忘れられた。

 今目の前のソファで滔々とエヌネットのことを話している白髪の松岡は元々、東田と同じ中堅企業専門のGB部門にいた。

が、現在は公共企業担当部門にいて目標数字を達成するのがかなり厳しいはずだった。

外資系のBM社にとっては1960年代から始まった日本政府の国産コンピュータ保護の政策下では公共企業体は最も売り込みが困難であり国産のF社の金城湯池であった。

 少しの数字も欲しいはずの公共がわざわざGB横浜営業部に県との商談を

ブルーバード(青い鳥)してくれるなんて本来BM社ではありえなかった。 BM社では業種・地域・企業規模などで厳密に担当を区分し、他営業部の顧客に手を出すことは禁止されていた。

他の営業部のテリトリーを侵害した場合には無条件でその成績を本来の営業部の成績に移し変える規則もあった。

しかし現実には本社と設置場所や出資した子会社との関係など目先の聞く営業が先に唾をつけた者が契約をとると取られた方の恥とする文化もあった。

 今回のケースは県が33%を出資し、県庁所在市が10%、その他市町村が10%で過半数とした残りを県内に工場・拠点のある有力コンピュータ・メーカーと大手ソフトウェア会社が出資する第三セクターなので

公共営業部かGB営業部のどちらが担当するにしても理屈がつく話であった。

こういう場合はさきほどの文化が優先し、先に知った方がとるのが当たり前で、後で文句を付けても始まらないものだった。

 松岡担当部長の言い分は次のようなことであった。

『この話は長島知事の発案でもあり、BM社としては受けざるを得ない。

出資に見合う受注が見込まれるので、営業部としては、おいしい話である。

知事や(BM社)社長も知るので、会社の正しいルールに基づき、公共企業営業部であるうちの担当ではまずい。

そこでよしみのある東田さんにぜひまかせたい。』

 20年以上GB営業で飯を食っている東田の勘では何かまずいことがありそうな気がした。

しかし先ほど怒鳴られた島田本部長の顔を思い出すと、こちらも目標を達成するためにはおいしそうな話であった。

出資金から見ても最低1億円うまくいけば3億円以上になりそうな商談であった。

 同席していたY市担当の佐山営業一課長は数字になりさえすれば何でもよく、

鵜呑みにする姿勢だったが難しいことは部長の東田にまかせるという態度だったので、

まったくあてにできなかった。

営業部のシステム次長の増澤に相談したかったが、

今日は津久井郡のトラブル・Tプロジェクトに行って戻る予定は無かった。  

 

 

 

第2章 知事

部長室に戻った東田はますます胃の痛みが強くなってきた。

エヌネットの篠山専務の言葉が忘れられなかった。

『もっとちゃんとした人をよこしてよ。天下のBMさんじゃないですか。知事から椎山社長に言ってもらってもいいんですよ』 公共営業部の松岡担当部長の口車に乗って、簡単に営業成績を上げられると思った浅はかさを後悔しても遅かった。

横浜のGBにはパソコン通信なんて誰も判らなかった。

若手の村井を担当営業に任じて何回か一緒にエヌネットの準備会に出席したが営業部長東田の手に負えるものでは無かった。

しかし知事から社長にクレームが出たらたまったものではなかった。

外からの圧力に弱い椎山社長のことだから部長更迭は簡単なことだった。 Tプロジェクトどころでは無かった。電話をかけた。『増澤です』

『まっさん。お願いがある至急戻ってくれないか。そっちはどうだい』

『だいぶ落ち着いては来ました。パフォーマンスは良くはないですが、何とか朝たちあげるぎりぎりにはなりました。

バグもやっと20件を切ったので先は見えて来ました。』『やっと何とかなりそうだな。

そのくらいまで行けばSEの大野課長と山下君で何とかなるだろう。

こっちはとんでもない状態だ。助けてくれよ』『判りました。

営業の車で乗せて貰ってすぐ帰ります。』 増澤が新入社員のころ東田が営業で東京営業所にいて面倒を見たこともあって、増澤には頼みやすかった。

 夜10時過ぎに営業部長室で東田は増澤に状況を説明した。

 長島知事は学者だったので米国国防省が作ったAPARネットがインターネットと名前を変え一部の学校や研究機関で情報交換に使われ始めていたことを知っていた。

一方日本ではN社のパソコンが圧倒的なシェアを占めている中でいくつかのプロバイダ゙がパソコン通信を始めていた。

しかしまだ接続は電話網にモデムを繋いでプロバイダに電話をかける方式だった。

そのためプロバイダとの接続料金もさることながら、同時にかかる電話料金がユーザーにとって大きな負担であった。

 長島の考えは当時(1990年)としては新しいものだった。

第一にインターネットと接続を目的とする。その次に県内および首都圏のどこからでも電話料金は市内通話料金とする。

最後に当時のパソコン通信は文字だけの世界であったが画像を主とすると言うものだった。

 これは長島と親しいT大学の学者とX総合研究所の入れ知恵であったが、自身学者でもあった長島がすぐとびついた。

長島は学者だったが性格は向こう見ずの所があり、その性格ゆえに革新系政党に担ぎ出されとうとう知事になってしまったのだ。

しかし長島は政治的には保守系の考えであり保守党や財界との関係も強いものがあった。

 長島知事は最先端の通信技術を用いたパソコン通信で、日本に大々的にインターネットを紹介することで、知事としての花道にするつもりだった。そのために採算を度外視し、政府・県下の全地方公共団体・NTT・すべての有力コンピュータ・メーカーの参加が必要だった。

 

第3章 叱責

東田は腕時計を見た。午後11時をまわっていた。

厚木の顧客から帰ったばかりの増澤とその顧客の担当営業の伊崎が加わり営業課長の佐山・大野SE課長・山下SE・村井営業が揃った。

今までの経緯を東田が説明を終わると、増澤はあきれた。国産コンピュータ・メーカーの上位企業F社・H社・N社やソフト開発のVC社など10社がからむプロジェクトにもかかわらずプロジェクトとしての体制をBM社として認識していなかった。プロジェクト管理者もSEもアサインせず営業部長と担当営業だけが会議に列席してエヌネットの杉山専務から毎回苦言を受けていた。

もう一つの問題として、BM社の受け持ちはアプリケーションのサーバーとその技術指導を担当することだった。他のメーカーはLAN管理・会員管理・請求管理などを受け持つことになっていた。それらは監視パッケージかバッチ処理であって設計の問題はほとんど無かった。しかしBM社とVC社が担当するアプリケーションは要件定義や設計の仕様がなかなか決まらないやっかいな部分であった。なおいけないことにオープン系の技術者がBM社にはほとんどいなかったのだ。

BM社はセンサーベースのコンピュータでは30年近い歴史を持っていた。名機と言われ、国内の鉄鋼・石油・化学ユーザーから絶大な信頼を勝ち得た1900DACSや1140などの製品を擁し国産コンピュータに競合品は無かった。しかし最近出したUNIX対応製品の7300はBM社のUNIXであるBIXを搭載しコスト性能比が高い割には売れてなかった。

これからはオープン系」(UNIX)の時代が来る。BM社は日本国内で社内に5000人、協力会社に2万人のUNIX技術者を3年以内に揃えると豪語し、今年の一月にUNIXセンターを立ち上げていた。東田の属するGB部門でもUNIXの分かるSEを数十名育成していると聞いていた。

部長の東田が続けた。

『もう営業ではどうにもならないよ。何とかしてくれないか』

SE課長の大野が答えた。

『内の課にはオフコンのSEしかいないので、どうにもなりません。GBのSE本部に頼みましょう』

『いや、それは考えている。今差し迫っているのは毎週の打ち合わせには増澤さんが出て欲しい。村井とぼくではもう限界だ』東田は眼に輝きが無く、頬はこけて疲れきっているようだった。

本部に頼めばなんとか優秀なSEを出してくれるだろう、何しろ3億円のビジネスは当時のGBにとってはのどから手が出るほど欲しいはずであった。またいざとなれば知事もからみ、BM社も出資している以上会社全体としても協力してくれるという読みもあった。株式会社エヌネットにはBM社は一億円出資していたので、米国本社や日本の椎山社長も関心を持っていた。

社内各部門への依頼を分担して深夜の会合が終わった時には朝の空が明るくなりはじめていた。

やっと見通しがついて会合は解散となったが、これは苦労の入り口であったことにその時は誰も気づいていなかった。

 

第4章 絶望

BM社のUNIXセンターがある築地事業所の13階にはこの部屋以外誰もいなかった。

横浜を出たのは午後10時を過ぎていたので、もう11時をまわっていた。

電話では埒が明かないので、東田・増澤・村井の3人でおしかけたのだった。

UNIXセンターの寺島マネージャーに東田は詰め寄っていた。『UNIXマシンが10台売れるビジネスに1人も出せないとは、どういうことだ。このプロジェクトは椎山社長も強い関心を持っている。県知事からクレームが来たらたいへんなことになるぞ』

『東田さん、無理ですよ。100人のセンター員のうちUNIXをサポートできるSEは指で数えるぐらいしかいないのですよ』寺島はそう言って指を折ったが3本で止まってしまった。

『100人でUNIXセンターを立ち上げとプレスリリースしたのはうそだったのか』東田は気色ばんだ。

『うそじゃありませんよ。10数名の汎用機SEは今研修中で、残りの80名は昨年入社のトレーニーですよ。うちの発表にうそは無いけれど、内実はいつもこんなものだということは、東田さんだって分かっているでしょ。今回はちょいとそれがひどいだけですよ』

東田たちは唖然とした。

寺島は続けた。『社長お声掛かりのUNIXマシンが数百台のプロジェクトが2つもあって、UNIXが本当にサポートできるSEはかかりっきりですよ。おまけに増澤さんの要求される、UNIXが分かってNAPLPSとLANそしてTCP/IPに強いSEなんて日本にはいませんよ。国産メーカーが降りたのはあたりまえでしょ』

言われてみればもっともだった。インターネットすらまだほとんど普及していないのにIPと言っても通じなかった。国産メーカーは自社の能力を知っていたから、無理して手を出さなかったのだ。BM社の公共担当は会社のUNIXに力を入れると言う発表を信用して抜き差しなら無いことになり、GBに振ったのだった。

東田は美味そうなえさにパクッと食いついた自分に怒りがこみ上げて来た。間単に人が集まり、スキルが揃うなら公共が出すはずが無かった。

寺島はさらに『NAPLPSは日本で初めてでしょ。しかも他社製品だ。1万人のSEのスキルを調べたが1人もいませんでしたよ。それよりも、このプロジェクトがどうして社内レビューを通ったかが不思議ですね。』

公共がどうやって社内レビューを通したのかは東田たちにもわからなかった。公共の松岡たちはHWだけを顧客の要求仕様だけで決裁をとり、BM社の難しい役割とそのHWの分担するのがNAPLPSによるアプリケーションだと言うことは承認を受けてなかったのだった。

増澤だけが汎用機のSEだったことがあるが、他はオフコンの知識しかないGBチームがUNIX/やTCP/IPそして日本で初めてのNAPLPSを導入してパソコン通信の業務を立ち上げなければならないことがようやっと分かってきて、東田たちは帰途についた。

 

第5章 地獄で仏

 『東田じゃないか、こんなところでどうした』

聞き覚えのある声は同期の春山の声だった。

寺島から別れた東田たちは昼から何も食べていなかったので、築地の居酒屋で夕食を兼ねて飲んでいるところだった。

東田を見つけた春山は、東田に声をかけ席を移ってきた。『どうしたんだ、顔色が悪いぞ』体調が悪い上に重要プロジェクトが絶望的な東田は、傍目にも疲れて見えた。

東田はたいへんなプロジェクトを半ば騙されて背負い込んだ今までのいきさつを春山に話した。

同期の春山に話しただけでも東田は少し気分が楽になった。さらに春山からは『それはたいへんだ。公式には俺は参加できないが5時以降なら何時でも手伝ってやるよ』と、それを聞いて東田は眼がうるんだ。

春山は大手製造業のSIマネージャー兼ラインの部長でかなり忙しいはずだった。ただ大プロジェクトであり優秀なスタッフが揃っているので問題はほとんど無いと言い切った。さらに先進技術のあるエンジニアに知り合いがいるのでコストを出してもらえるなら紹介するとも言ってくれた。金で解決できるならお安い御用だと東田は春山に人探しまで頼んだ。実際数日後にこのプロジェクトに入ることになる先崎を春山は見つけて来たのだった。

先崎は米国から帰ったばかりで、InternetやNAPLPSなども知っていた。能力・知識とも高く難しい問題に立ち向かうに相応しい人物だった。しかし先崎はすでに大手企業の先進プロジェクトのアドバイザーとして80%の工数を契約していた。またこれらの先進知識は理解しているものの導入経験は無かった。導入経験のあるSEが日本にはもう居ないことが分かっていたが、先進技術を理解してフルに働けるSEがもう1人は必要だった。東田と相談し、増澤は同期の溝口SE部長に頼むことにした。

溝口と約束した時刻に東田と増澤は溝口部長室の前に来ると、溝口の怒鳴り声が聞こえた。東田はかまわずドアを開け部長室にはいり、応接セットのソファに腰掛けた。増澤も仕方なく東田に従って座った。

溝口は2人が入ってきたので、戸惑って声を低くした。どうやらプロジェクトの完了報告が気にいらないので部下のSEを叱責しているところのようだった。溝口の机の前で立っていた女性のSEは負けずに反論していたため、ますます溝口を怒らせていた。色白で大柄、美人ではないが切れ長の眼と引き締まった唇が芯の強さを示していた。溝口が『今日中に書き直して、明日9時に持ってくること』『わかりました』と話が終わったのは珍客2人が部長室に黙って侵入したためだった。東田は無駄な叱責を終わらせるために、あえてずうずうしく入り込んだのだった。

 第6章  出会い

 東田横浜営業部長は溝口統括・SE部長にエヌネットの今までのいきさつとTCP/IPやパソコン通信に強いSEのアサインを頼んだ。

 『東田さん、冗談はやめておこうよ。そんなSEがいる訳がないでしょ。ふつうのSEなら何とかならないでもないけれど』溝口はあきれて言った。東田も言ってはみたものの期待はしていなかった。日本全体のUNIXセンターにいない者が部門のSE統括に居るはずが無いことは分かっていた。『じゃあ、優秀でポテンシャルがあればスキルは我慢するよ』高い要望をまずぶつけて、だんだん下げて行くのは営業が社内で思い通りに要求を通すいつもの手段だった。東田があっさりと要求のレベルを切り下げたので、SEを出さざるを得なくなった。

『そこに居た三水君にしよう、彼女は優秀だしプロジェクトも丁度終わったところだ』

『増澤さんがいいなら、おれはいいよ』東田は増澤にまかせた。増澤が新人の頃自分の顧客へ同行したことがあった東田は増澤のことをよく知っていたので、増澤にまかせた。

 増澤は考えた。初めて見た女性SEの能力は判らなかった。しかし溝口部長に反論する気の強さならきっとこの困難なプロジェクトに耐えられそうな気がした。

『なかなか聞かないが増澤さんならだいじょうぶだよ。学校も後輩だよ』溝口のその一言で決めた。

『いいでしょう、今の仕事が終わったら横浜に来るように言ってください』